「お月さまへようこそ」
響人 「お月さまへようこそ」
2018年4月25日~4月29日
作:ジョン・パトリック・シャンリィ
演出:吉原光夫
出演:
海宝直人、宮澤エマ、西川大貴、吉田沙良
中村翼、畠中洋
6編の物語で構成された戯曲
出演者勢が言うように比喩が独特でストレートなお話の筈なんだけど難解になるという。
本読んでからいくと舞台が補足をしてくれている気がします。
新翻訳と旧翻訳との言葉のニュアンスも少し違いますので比べてみるのも楽しい。
「赤いコート」
ジョン:海宝君
メアリー:エマちゃん
高校生 内気なジョン17歳、奔放?なメアリー16歳の純粋な物語。
違う高校に通う2人
「メアリーに会えるまで電車を待つ、メアリーの家の前を通って散歩する」
内向的で、ややストーカーっぽさの垣間見えるジョン。
「ジョンに会えるんじゃないかって駅を見てみるけど、いつもの電車に乗るわ」
というマイペースさの感じられるメアリー。
気にかけているのでメアリーもジョンに気がない訳ではないんだけど、熱量がなさそうな素振り。
でもジョンが大切な、しかし理解して貰えなかった「赤いコート」の理解者だと分かった瞬間が、メアリーがジョンに恋に落ちた瞬間だったのだろうなと。
気になるけど、本気で好きって感じではなかったところで、何かの拍子に恋に落ちるみたいな。
その感覚分かる!分かるよメアリー!って思いました。
感覚の共有をできなかった事に孤独を感じていた辺り、メアリーも繊細な感性の持ち主なんだなと思いました。
***
初々しくてきらっきらな海宝君
奔放で、軽やかで、美しいエマちゃん
可愛い恋物語(*^ ^*)
「どん底」
詩人(ポエット):西川君
恋人(ラブ):沙良ちゃん
人物:畠中さん
郵便屋:中村君
落ちぶれた詩人と、その恋人
二人の家に訪れる人々(?)の、ちょっと不思議な世界の話
【恋人(ラブ)について】
本読んでる時には感じなかったんだけど、恋人(ラブ)って、生きている人間なのかな?とふと疑問に思いました。
沙良ちゃんの持つ独特の雰囲気の効果かしら。
回ごとに西川君の演技、表情も動作も少しずつ違うので面白いのですが
凄く優しい笑顔(甘えているようにも見える)で恋人に寄り添う部分があって、恋人は生きている人間 なんだろうなと納得しつつ、逆に「恋人」っていうか何か違う存在にも見えて、どんどん『恋人 の存在の追求』という泥沼にはまりかけていました。
【人物、狼 について】
これらが何を示すのか、について。
・詩人の図書館の貸出券を奪う人物
貸出券:知識を得るもの、生き甲斐に通じるツール
それを奪う人物は、才能の芽を摘もうとする周囲の悪意。
・金を渡す代わりに『箱にしまった詩人の魂』を要求する人物
詩人の魂:純粋な情熱
金:商業主義
詩人(あるいは芸術家)の表現をしたいという、純粋な気持ち
そういった純粋な感性を、食いものにしてやろうという、商業的な人間
ある意味でこれも周囲の悪意と言えるかも。
決して才能から金銭を生み出す事は悪い事ではないだろうけど、その人が上手く導いてくれる人でなければ詩人の才能そのものを奪ってしまう。
・ドアの外の狼
狼:周囲の声
詩人の、作品に対する周囲の「批評(あるいは悪意のある声)」ではないかと。
詩人の魂:純粋な情熱 を仮定の前提として
情熱だけで走っていた昔の詩人は「怖くなかった」
やはり魂を取り戻した詩人も「怖くなんかないさ」
と、狼を恐れなくなる。
【折れた鉛筆 について】
これについて、西川君が『鉛筆=才能』と解説しています。
初めて聞いた時に言ってる意味がよく分からなかったんですが
上記を前提として
郵便屋が鉛筆を届けるまでのもどかしさ:積み重ねてきた努力
届いた鉛筆が折れていた:才能に対する挫折
かなと思いました。
ともすれば、純粋な情熱(魂)を取り戻した詩人は挫折した才能で、また新たに作品を生み出そうと歩みだす。批評も恐れない。
という所に繋がっていくのかなと。
***
本を読んでいる時は『人物』が一番難しい役に思えて想像できなかったのですが
畠中さんの『人物』の異端感が素晴らしく凄くて、役者さん凄いって思います(小並感)
「星降る夜に出掛けよう」
男:海宝君
女:エマちゃん
郵便屋?:中村君
幽霊や妖怪に憑りつかれて、一人きりでいる男
語りかけても答えを返してくれない、『お人形さんのような』友達と付き合う女
二人が出会い、見えた世界の話。
【幽霊や妖怪とは】
周囲の声(を自身が増幅させたもの)
男が言っているように幽霊とは『自分が作り出した』、ものなんですよね。
確かに周囲は色々と言われたくない事や、あるいは心ないことを言う。
繊細な男は、それを増幅させてしまっているのではないか。
(真剣な話となると鎮まる というのは男のモチベーションの事なのかなと)
【お人形】
上辺だけの、一緒にいても、心を交わす事のできない友達
女は、深く物事を考えられる関係を求めていた。
お人形さんとの関係は「知的追及を嘲笑うような人間関係を築いてきた。あなた(人形)は、それを象徴するような関係だったわ」
本で読むより、舞台の方がシンプルでストレートでした。
【備考】
女の姉
男と同じように、幽霊や妖怪が周囲にいる人。
でも、男とは違い『聴こえないふりをしている』
『痛み』や『苦しみ』から逃げた人。
繊細な心を封じ込めてしまった人。
ある意味で、不器用ながら器用に生きようと抗っている人のように思うんですけどね。
不器用ながら真剣に語り合い「生きている」という実感を求めている女 とは相反する人ですね。
***
『赤いコート』と打って変わり、不幸を背負ったみたいな表情と佇まいの海宝君
通常モードはあれだけプリンセスオーラを放っているのにモッサリ感のある佇まい・仕草のエマちゃん
役者さんって凄い(2回目)
「西部劇」
カウボーイ:西川君
女の子(サリー):沙良ちゃん
ベッツィ:エマちゃん
バーテン:畠中さん
弟(ビリー):海宝君
『町という監獄』から逃れたいサリーの話がメインと思ったのですが
繋がりそうだったサリーと死別し、誘うベッツィに別れを告げる事なく町を去るカウボーイの孤独の話でもあるのよね。
サリーにとっての憧れと生きる実感とは、自由(カウボーイ)
カウボーイの事を「神父様のように生きてきた人なの」って言ってしまうあたりで、最早サリーにとって神格化されてますけどね。
一緒にいられた事、カウボーイを守って死ねた事で、サリーも自由になれたと。
ではカウボーイにとって生きる目的って?
自由だけど、でも孤独で?
どちらが幸せなのか・・・みたいな問いかけなのかな・・・
***
沙良ちゃんの演じるサリーが、うじうじしながらもカウボーイを気にしている素振りがめちゃくちゃいじらしくて可愛かった(*^▽^*)
「喜びの孤独な衝動」
ジム:西川君
ウォルター:海宝君
サリー:(沙良ちゃん?)
深夜2時~2時15分くらいにセントラルパークに現れる人魚と恋をした男(ウォルター)と、その友人(ジム)の話。
【人魚 とは何か】
他者の目から見えない、特別に感じる愛情を注ぐ事象そのもの。
ウォルターのセリフに少しずつ違いがありまして
本(旧翻訳)だと「証明できない、たった一人の恋人」
舞台(新翻訳)だと「証明できない、たった一つの恋」
という僅かな違いがあったりします。
つまり人魚って『女性』という意味だけでなく、夢や目標や、何か注がれた情熱などの比喩なのではないかと。
パーティーで出会った女の子とのデートをすっぽかす羽目になり、深夜に連れ出されたジム。
それでもウォルターに「親友だろ?」「お前が理解できないなら誰が理解できる?」と熱く説得されてしまうと絆されるジム。
理解できない事を言い続けるウォルターに、それでも根気強く話を聞いたジム。
ウォルターが語れば語るほど、ジムのウォルターへの気持ちが冷めていく様が見えます。
愛情を注ぐ物事を、一番の理解者(でも他人)に理解して貰えない孤独感。
そんな事を感じました。
***
ウォルター 海宝君
ジムが去って行くと孤独感に打ちひしがれ、サリーの声が聞こえるとぱっと希望を見出したような笑顔を見せる。
サリーにすがるしかないような愛情と、どこか孤独感を抱えた淋しい表情。
ジム 西川君
ウォルターに対して徐々に冷めていく気持ち
セリフの返しのテンションも秀逸だなと思いました。
「お月さまへようこそ」
ヴィニー:中村君
スティーブン:海宝君
アーティ:畠中さん
ロニー:西川君
シャーリー:エマちゃん
100年くらい恋しちゃってる出戻り男と、ばっさり切り捨て系女子と、ゲイと、ゲイの同窓会の話(笑)
【ヴィニーとロニー】
ヴィニーに恋しているのに言えなくて、でも諦められず幼稚な自殺を繰り返すロニー
ロニーに恋してるのに言えなくて、自殺を繰り返すロニーを見守り続けるヴィニー
ゲイ二人が子供の頃から愛し合っているのにお互い分かってなくて苦しんで。
何でもっと早く言わないんだ!ってロニーは激昂するけど結局のところ関係が壊れてしまうのが「怖くて」
というのはシンプルに、ゲイでなく男女の関係でも通じている所なのではないかと思うのでニヤニヤしながら観ていました(笑)
ある意味で6編の中で一番分かりやすい恋物語をしていたのがヴィニー&ロニーなんじゃないかと。
そんな関係を分かってから観ると
自殺の事を自暴自棄に語ったり、破滅的に酒に走ったりしているロニーに苛ついているヴィニーがよく表現されていました。ヴィニーは献身的で良い奴。
最後に二人が酒場から手を繋いで去っていくんですけど、本からだと全然想像できなかったラストなので
わーーーい!何か二人ともハッピーじゃーーーん!って、みつおさんの演出にズルさを感じました(笑)
【スティーブとシャーリー】
スティーブ
恋焦がれて、眠れなくて、太れなくて、愛し続けた相手にやっと想いを告げて、でもばっさり振られて。
スティーブ どうなったのかな・・・っていうのが一番気になって仕方がない。
シャーリー
6編全てに共通して表現されているのが
「痩せている」=「孤独」や「魂の枯渇」
なんですよね。
そんな中で唯一「ぽっちゃり」という表現をされた人物がシャーリー
(エマちゃんがやっているから舞台だけ観ると伝わらない設定ですね)
つまりシャーリーは、現状で愛に満たされているんですね。
シャーリーの「昔の仲間が揃ったのね」で
アーティが「君が可愛い16歳だった頃」を歌う。
そして、「赤いコート」にループしていく。という物語の繋がりを感じました。
***
スティーブとロニーが袋被って自殺しようとするんですけど、二人とも何か楽しそうでした(笑)