うたかた

オタクの観劇メモです。

音楽劇「道」(LA STRADA)

音楽劇「道」(LA STRADA)

日生劇場
18/12/8(土)~18/12/28(金)

演出:David Leveaux
脚本:Gabe McKinley

出演:
草彅剛/蒔田彩珠/海宝直人/佐藤流司
池田有希子/石井咲/上口耕平/Philippe Aymard/岡崎大樹/金子大介/鹿野真央
土井ケイト/西川大貴/橋本好弘/春海四方妃海風/安田カナ

 

 

映画は公演の発表があってから鑑賞しました。
作品の年代的に今とは倫理観がずれていたり、宗教の色がしばしば見える作品だなと思いました。

 

○演出から観る、映画との差異
舞台演出のオリジナルのテイストとして、サーカス団(アンサンブル)が全体的にサーカス×スチームパンク的の様相。
元々の作品の造りや雰囲気はシンプルなだけに、そういったビジュアルのキャラクターを入れる事でエンタメ要素を高めようと図ったのかな?と思いました。
オリジナルキャラクターのモリール(佐藤流司くん)が特にゴシック的と言いますか、スチームパンクの雰囲気が強く、違和感なくアングラ的な雰囲気もあります。個人的にそういった雰囲気は好きなのでアンサンブルさんが主体となっているシーンも楽しみながら観ていました。
ただし視覚的な要素が強くなったためか感情の移ろいや起伏に、観ている側の意識が行きにくくなっている感があって惜しいなあと思います。

 

モリールとクラウン
舞台オリジナルキャラクターのモリールとクラウン(Philippe Aymardさん)はどういった役割なのか?

 

・クラウン/Philippeさん について
クラウンはジェルソミーナの感情に同調して楽しげだったり、悲しげだったり、ジェルソミーナに寄り添う存在。
Philippeさんがプロのクラウンとのことで、クラウンの登場シーンではサーカスの世界に一気に引き込まれる。愛嬌があって可愛い。

パンフレットを読みまして、クラウンはジェルソミーナにしか見えない存在…とのことで。そういえばクラウンに手を振ったジェルソミーナは「誰に手を振っているんだ」と母親にもザンパノにも言われていた…。
おそらくジェルソミーナがスピリチュアルな能力を持っているという話ではなくて、夢見がちな少女という事と、メッセージ性を高めたかったのかな?とは思うのですが、クラウンとモリールも普通に話していたので解釈の余地があるかもしれません。

 

モリール/佐藤流司さん について
佐藤くんを舞台で観るのはかなり久しぶりでした。(テニミュ以来…?かも)
ビジュアル云々でなく存在感がある。
日生劇場の2階席は反響の兼ね合いなのか?声が聞き取りにくい事が多かったのですが、佐藤くん声質的には通りにくいタイプですが、とても良く通っていた。舞台での動きを心得ている方という感じ。

モリールも少し俯瞰した少し違う世界の人物という印象。
どちらかというと登場人物と客席を繋ぐメタ的な存在っぽいです。

 

○ザンパノ/草彅さん について
まず登場して真っ先に、自分の中でイメージしていた草彅さんと全く違ったので驚きでした。
ザンパノを演じる草彅さんは想像つかないと思っていたのですが、離れた中に「らしさ」が感じられる。

トランペットを解禁したシーンで映画ではイルマットから教わった曲を披露して複雑な表情になるザンパノ、舞台ではテーマとなる曲を披露してシスターが褒めると「教えた」と言うザンパノに被せて「自分で吹けるようになった」と言うジェルソミーナ。
こういうちょっとした差がちらほらあって、映画と舞台でけっこう二人の関係性の印象が変わるなあと思いました。

 

○ジェルソミーナ/蒔田さん
蒔田さん。舞台というより、映像的な演技をされる方なのかな?という印象。
初めて仕込まれた時の「ザンパノ登場」の言い方だったり、ザンパノのパフォーマンスを見た時の拍手だったり、駆け寄る姿や喜び方が無邪気で無防備で可愛らしい。
人との関わりがなかったジェルソミーナの不器用さと、繊細さ。そして愛嬌。映画以上に可愛らしさが全面に押し出された可愛いジェルソミーナでした。

何となく、舞台のジェルソミーナは恋に憧れた少女みたいな感じ。

 

○イル・マット/海宝さん
まさに舞台の方!って感じ。草彅さん、蒔田さんが映像的な演技で、佐藤くん、海宝くんが舞台的な演技という印象です。
愛嬌のある動きと、コロコロ変わる表情が観ていてとても魅力的でした。
映画で観たベイスハート氏の演じるイタリアの伊達男感と、掴みどころのない所、というイルマットのイメージをピンポイントに捉えて出力されている感じが好きです。

ジプシーの息子で故郷がなく、自由だけど帰る場所のない事に、どこかしこりがあるような気がします。

 

○全体の事と、セリフについて
個人的に「道」という作品、ジェルソミーナの生き方は「人として生きる道の模索」なのではないかと思うのです。

そしてジェルソミーナにとってのイル・マットは突然現れた「天使」で人生を「導く者」
「ちっぽけな石ころにも意味がある」「ザンパノが君を必要としている」とイル・マットに説かれたらジェルソミーナとしては「ザンパノと一緒に行く事」に生きる意味の答えを見出すしかなかったのではないかと思います。
(映画でジェルソミーナが言った「彼が言ったの、一緒にいろって」というセリフが、ついていく事が本望ではなく、イル・マットのセリフがジェルソミーナにとっての言葉の鎖になっているのではないかなと)
ジェルソミーナは信心深い人物だし、宗教的な要素が散りばめられているので理解を深めるのはなかなか難しいです。
 
それで、舞台版のラスト「彼女の前に2本の道が…」「チャンスはあった…」というセリフ
修道院に入るかザンパノについていくか?という選択からザンパノについていく事を選択したジェルソミーナ。それは彼女が選んだのだから、それにより破滅するのは自業自得では?というイメージに繫がってしまう気がして、追加のセリフはミスリードなのではないかなあと感じてしまいました。

あとジェルソミーナにとってのザンパノは「愛を与える相手」かもしれないけれど、それは「恋愛」とは違う「愛」だと思うので、舞台版だとそれを「恋愛」としていたので脚本と自分の解釈は違ったなあと。
もしかすると脚本は今の日本でも理解しやすいように、日本風に落とし込んだのかもしれないのですが逆に共感も理解もしにくくなってしまっているような気がして残念でした。

演出は好きですが、追加のセリフが共感しにくい作品だったかなと。

 

繰り返しになりますが、たぶん自分の中で「道」は「『人としての道』の物語」であり「愛の話」であると捉えているのだと思います。そして舞台版は「(男女の)『恋愛』の話」として造られたと捉えている。

その辺のニュアンスの違いが、自分として上手く飲み込めきれずに観劇が終わってしまったのだと思います。

映画そのものも解釈をしっかりできないまま舞台の観劇が終わってしまったのがとても悔しい。映画をまたしっかりお勉強してから観てみたいと思う作品でした。